「科学と裁判」について
ツイッターで、@ stdaux氏が以下の投稿をしました。
裁判官に情報通信技術を「わかりやすく」伝えるというのはなかなか難しいところがある。証拠として書籍のコピーを出そうにも、最先端の技術は書籍には載ってなくて、本当に新しい技術をわかりやすく解説してくれてるのはそこらの変な文体の匿名ブログだったりする
— スドー (@stdaux) 2017年2月10日
かといってIEEEとかの英語の仕様書をどんと出して「さあ読んでくれ」というわけにもいかないし……
— スドー (@stdaux) 2017年2月10日
理系の弁護士は相当数いるから、むしろ理系の裁判官が増えてほしいですね
— スドー (@stdaux) 2017年2月10日
私は、これらの投稿をリツイートした上で、以下の投稿を行いました。
理系の裁判官が増えてほしいに同意。
— 片瀬久美子@冬眠しそびれた (@kumikokatase) 2017年2月10日
研究不正事案でもちょくちょく裁判になるし、背景事情を理解してもらうのに理系の裁判官がいてくれると良いな~と思う。
この投稿の趣旨は裁判で「証拠類をもとに判断をする段階で、事案によっては科学の専門的な内容を理解できる素養のある方が裁判官として担当して頂くのが望ましい」というものであり、従来の医療トラブルを含む事件の他に、研究不正に絡む名誉毀損裁判などを念頭に置いたものです。
他の事案と比べて当事者の負担が過大となってる場合に(この件では科学技術が関係する事案)、その状況を解決する一つの策として、科学技術に関する基礎知識を有する裁判官が増えれば、ごく基礎的な事から説明しないと通じないという問題を多少なりとも解消できるのではないかという意見です。
参考として『判例タイムズ1355号』P47~51には、科学者(医師)と裁判官の間で起きる「意思疎通の問題」が指摘されています。
例えば法曹の多くは「~すべきであった」という言葉からは「通常の医療者であれば、当然しなければならない法的義務といえるほどの医療行為であるにもかかわらず、それをしなかった」(=医療行為に過失があった)という意味だと理解しますが、医者は「当時としてはちょっと考えにくいけど、結果的にはそうした方が良かった。…今後はそうすべきだ」(=当時の状況からは過失があったとは言えない)という意味で言っている場合があります。「因果関係」についても、医師が「因果関係は否定できない」(0.1%とか0.01%のつもり)と言うと、法律家は「否定できない」→「因果関係はある」→「相当因果関係がある」と受け取りがちだという指摘がされています。これらは典型的な例ですが、他にも互いに気付いていない微妙な言葉の意味の取り違えがしばしば起きていていることが考えられます。
そして、裁判官が原告と被告双方から「科学的な根拠」として提出された証拠や、専門家の鑑定書や証言を基に判断をする際の困難さについては、『法と科学のハンドブック』のP48~ 「第3章(2)裁判の登場人物たち」でも解説されており、「理系の裁判官も増えたらいいのに」と要望する事が、裁判制度の無理解による「不見識な意見」ではないことは、同書においてもP49で
科学技術を専門とする専門部を設立しようとか、理系出身の裁判官を増やそうという話が出ることもあります。たとえば知的財産に関する事件を専門的に扱う「知的財産高等裁判所」は(科学技術問題に特化しているわけではありませんが)部分的にはその役割を果たすものといえますし、また法科大学院制度によって理系を含む多様なバックグラウンド出身の法曹を増やそうとしていることも、そういった試みの一つとして捉えることができるでしょう。
と解説されています。
・『法と科学のハンドブック』
http://ristex.jst.go.jp/result/science/interaction/pdf/H24_nakamura_houkokusho_sankou1.pdf
科学の素養を持つ(理系の)裁判官が多少増えたところで、文系の裁判官が大多数であればその影響は限られているし無駄という意見もありますが、現行制度においても新たに出された判決が「判例」となり他の裁判官から参考にされていくことから、その裁判官が担当する裁判だけに限られず、全体に影響していくことも期待できます。
さらに、医事事件での具体例としては、「杏林大学割りばし事件」裁判があります。この裁判に関して特集した『判例時報 2301号』に掲載された奥田保弁護士の解説と訴えられた医師側に立って鑑定をした堤晴彦医師の体験談が参考になります。検察側がその分野に詳しくない専門家による「鑑定書」を出させて陳述させ無理にでも有罪にしようとしたのに対して、被告人医師側で鑑定をした堤医師が裁判のルールで思うように主張できずに苦労した事などが書かれています。(こうした医療関係の事案の特殊性から、一部の裁判所では医事事件を専門に扱う「医療集中部」が設けられたリしています)
他には、交通事故の裁判において専門家から提出された鑑定書に「エネルギー保存の法則と運動量保存の法則」を混同して書かれており、裁判官が煙に巻かれて誤審を導いてしまった事例もあります。
判決で,素人を煙に巻かんがために作られた鑑定書に引きずられて運動量保存の法則とエネルギー保存の法則を混同している裁判官とかもいたし,弁論主義にも自ずから限界があるよね。
— サイ太 (@uwaaaa) 2017年2月14日
研究不正事案に関する名誉毀損裁判の例として、東北大学元学長が不正告発者らを名誉毀損で訴えた事件があります。仙台地裁の判決文では、いくつかの画像に関して指摘された疑義について、論文掲載誌の投稿規程や執筆要領上には定めがないとして法的に問題とはされませんでした。しかしながら、「(外見が似ている)異なる試料の写真を並べて掲載する場合は、同一試料であるとの誤認を避けるために、画像の説明で異なる試料である事を明記する」等というのは科学論文作成上の基本的な作法であり、投稿規定にそこまで細かく書かれていなくても科学者にとっては当然守るべき倫理です。こうした論文作法に反した写真の掲載をすれば不正行為を疑われても仕方ないと言えます。また、他にそうした不適切な写真掲載をしている事例があったとしても、それらは同様に不適切であり正当化されるものではありません。
「明文化されていない研究者倫理」の存在については『法と科学のハンドブック』P41でも「科学技術に携わる人々は、…明文化されていない研究者倫理も含め、数多くのルールを守らされています」と指摘されています。
この名誉毀損裁判は最高裁で上告が棄却(2016年3月17日)されて不正告発者側に110万円の損害賠償が命じられて終結していますが、その9か月後の2016年12月16日に東北大学が設置した外部調査委員会による調査報告書が出されました。この報告書では「被告発者(元学長)への提言」として、疑義が指摘された論文には多数の誤りと説明等の不備があり実験データの取り扱いの杜撰さや論文に使用した写真の錯誤があったとして、元学長に強い反省と論文の訂正の実行を提言しています。裁判の判決文では掲載誌の投稿規定等では定められておらず問題とはされなかった行為が、科学者倫理では強く批難される行為なのです。
・日本における研究不正対応の問題点について
※理系の知識や方法論は習得できるものであり、生来に備わった性別の様な属性とは異なります。私はこうした観点から、理系・文系という分類は必ずしも適切ではなく、誰でも持つことが可能な「科学の素養」という言葉に言い換えています。