新装版『「ニセ医学」に騙されないために』解説文

NATROM改め名取宏(なとろむ)さんの著書『「ニセ医学」に騙されないために』の新装版が出版されます。(発売日は11月29日です)

この本に収録されている解説文を出版社のご厚意により、無料で公開します。

 

 20年ほど前になりますが、私の知人のAさんは妊娠中に初期の乳がんと診断され、出産後すぐに乳房温存手術を受けました。手術後は、本来ならば抗がん剤と放射線治療を継続して、がんの再発を抑えていく必要があります(こうした治療を受ければ、当時でも8割くらいの確率で10年以上の生存が期待できました)。

 しかし、抗がん剤治療をしていると、母乳で育てたくても与えられないこと、ある健康本に「抗がん剤は効果がないばかりか、副作用によって苦しんで逆に早く死んでしまう」という情報が書かれていたことから、出産後でナーバスになっていたAさんの不安はとても大きくなっていきます。母乳を与えるためにもと、「これでがんの再発も防げる」という体験談が紹介されていた自然療法をすすめる本に希望を託し、Aさんは病院での治療をやめて、その療法に思い切って切り替えました。医療保険を使えないので「治療費」は高額でしたが、自然療法の指導者からは謎の血液検査をされ、「免疫力が高まったので、このまま続けていたら大丈夫」と言われて信じてしまいます。Aさんの体の具合が悪くなってくると、指導者は「一時的な好転反応なので、しばらく我慢していたらよくなる」と言い、彼女はその指示に従って我慢し続けました。

 しかし、体調はよくなるどころか悪化していき、ついに苦痛で寝ているのもつらくなって、ようやくAさんは「この療法は怪しいのでは」と気づき、病院に戻ります。ところが、すでに体のあらゆる所にがんが転移していて手遅れの状態でした。がんに打ち勝ち、さらに母乳をわが子に与えられるようにと選んだ療法は、じつはほとんど効果がなく、Aさんはずっと無治療同然の状態になっていたのでした。再入院後、Aさんは幼い子を残してこの世を去らねばならないことを嘆き、「私のような目に遭う人をなくしてほしい」と見舞いに来た人に伝えていました。

 

 Aさんの死後、ご遺族は落胆して「これが運命だったのだ」とし、訴える気力も失います。納得できなかったAさんの職場の上司が、その自然療法の指導者に直談判しに行きましたが、「Aさんのほうから治療をしてほしいと頼み込んできたのであって、こちらに責任を求めてくるのはお門違いだ」と言われ、まったく話にならなかったと憤って帰ってきました。高額な「治療費」を支払わせて、あとは患者の自己責任として逃げたのです。このケースは、氷山の一角でしょう。

 Aさんは歴史研究家でもあります。普段の彼女であれば、不確かな健康本を鵜呑みにしてしまうことはとても考えられません。しかし、Aさんほどの人でも判断を誤ってしまいました。病気になり不安になっていると、怪しげなものに引っかかりやすくなるのです。

 

 巷には健康に関するいい加減な内容の本があふれていますが、それらを医学的にきちんと根拠を挙げて批判している本というのは、全体に冊数も少なく目立たなくて、圧倒的に負けてしまっている状況です(当たり前のことが書いてある本はつまらなくて売れないと判断されてしまうか、出版されてもあまり売れなくて書店から早々と消えてしまっている可能性があります)。

 

 また、現在日本で出版されている幅広い内容の総合的な「ニセ医学批判本」は欧米諸国で出版された本の翻訳版が多く、残念ながら日本で流布されている「ニセ医学」と内容がズレてしまっており、そのままでは通用しない部分がどうしてもありました。

 本書は、日本で流布されている「ニセ医学」について、ほぼ網羅しています。こうした本が出るのをずっと待っていました。医師であり、長年「ニセ医学」を批判してきた名取宏氏によって書かれたもので、現代医療、代替医療、健康法に関してそれぞれ10項目が選ばれており、世間に広まっている医療に関するよくある誤解やうそについて一通り解説されています。

 名取宏氏は、頭ごなしに否定するのではなく、そうした怪しげな情報を信じてしまいたくなる人たちの心理に配慮しつつ、一般の人たちにわかりやすい文章でどこが間違っているのか、考え方の一つひとつについて根拠を示しながら丁寧に説明しており、こうした文章は普段から医師として患者さんに接している経験から培われたものではないかと思います。

 以前から名取宏氏は、インターネットでもブログやツイッターなどを介して「ニセ医学」に関する情報を提供しています。彼に批判されたことを逆恨みしたり、批判対象を「ニセ医学」ではなく「ニセ医学を信じてしまった人」であると誤解した人たちから、ときどき的外れな攻撃を受けたりしながらも、地道に情報発信を続けられています。

 

 ニセ医学の問題は、それを信じた被害者だけではなく、まともな医学の発展も邪魔します。この解説を改稿する直前に、本庶佑氏のノーベル医学・生理学賞の受賞が発表されましたが、受賞理由となった画期的ながん免疫治療薬「オプジーボ」を開発した際の苦労話として、当時は「がんの免疫療法」といえば、効果の怪しい民間療法(ニセ医学)のイメージがとても強くて、本庶氏と研究開発に取り組んだ小野薬品が共同開発を持ちかけた国内の主要製薬企業の全てから断られてしまったエピソードが紹介されています。結局、米国のベンチャ-企業との共同開発に漕ぎつけてようやく開発に成功しました。ニセ医学の跋扈によって、画期的な治療薬の開発までも足を引っ張られてしまったのです。この様に「ニセ医学」は多方面に悪影響を与えています。

 

 「私のような目に遭う人をなくしてほしい」というAさんの望みが、少しでも叶うことを願っています。本書が、できるだけ多くの人に読まれますように。

                    片瀬久美子(サイエンス・ライター)

 

 明日発売です!

新装版「ニセ医学」に騙されないために ~科学的根拠をもとに解説

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