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「研究不正」をどう防ぐか<上>

研究不正

WEBRONZAより転載、加筆。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2013082000008.html

 研究不正、特に論文の捏造は重大な問題であり、学問への信頼を揺るがせるものです。発覚するしないに関わらず、不正を行った本人だけではなく周囲の人達も巻き込んでいきます。
 最も深刻なのは、論文データの捏造は誤った結論を導くことで、その分野の研究の進展を妨げる悪影響を及ぼすことです。自説に沿うように修正したデータは、例えその研究者が「正しい結果はそうなるはず」だと思っていても、確かめられた「事実」とは違うものです。私の知人は大学院時代に研究テーマを設定した際に参考にした論文に捏造があり、実験がどうしても上手く行かずに悩みながら2年ほど足踏みをしてしまいました。参考にした論文が、まさか捏造であったとは思わずに、自分の未熟さのせいで上手く行かないのだと思い込んでいたそうです。
 また、不正な研究成果によって研究費を得たり賞が与えられたりすることで、本来それを受け取るべき研究者からその機会を失わせてしまい、本当に才能のある研究者の芽を摘んでしまうことにもなりかねません。

 不正が発覚した場合は、ペナルティーとして解雇や停職になったり、新たな研究費が得られなくなって研究室のメンバーに迷惑をかけたり、研究室が閉鎖になり不正に荷担しなかった人達までも研究テーマの続行が難しくなることがあります。不正問題を起こした研究室出身ということで色眼鏡で見られてしまうこともあり、ハラスメントに発展したケースもあります。過去の事例では、論文の捏造を告発された人だけではなく、内部告発した人にも自殺者が出ています。

■研究不正が行われている状況

 最近、科学研究、特に生命科学分野での研究不正についての問題がクローズアップされてきています。 過去の日本における研究不正の114件の事案を分析したデータ*1によると、自然科学系では捏造・改ざん型が多く、特に生命科学分野が多いという結果が出されています。文系分野も合わせた論文不正全体の約4割近くを占めていました。(生命科学分野は研究者が多く、研究者総数に対する研究不正数の割合は他の分野に比べて特に高いということはないのですが、報道などに取り上げられることで目立ちやすくなっています)

 科学系分野では、日本だけではなく世界的な傾向として間違いや不正が発覚して論文取り下げになる比率が2001年以降に急増しています。*2 (日本と米国は同程度の比率) 日本での論文捏造事件は2005年以降に新聞報道が増えました。報告された捏造の手口は写真データの使い回しが多く、画像解析ソフトの普及によって簡単に画像を切り貼りしたり左右反転などの手を加える事ができる様になったことで、データ捏造の敷居が下がったことも背景として考えられます。画像データの細工は比較的発見され易いので発覚数も同時に増えてきたと考えられますが、こうした手段によらない捏造がさらに隠れている恐れもあります。

 日本における生命科学分野での研究不正(主に捏造論文の問題)について、現在の状況を憂慮し、不正防止対策を打つ必要があると考えているこの分野の研究者達による討論が行われています。(「捏造問題にもっと怒りを」)生命科学分野の最大の学会である日本分子生物学会では、これまでにも論文捏造問題は取り上げられてきましたが、本気でなんとかしなければならないと危機感を持たせたのは、研究倫理委員会の若手教育問題ワーキンググループの委員であり、若手研究者が捏造に手を染めることの無いように教育する目的のシンポジウムで講演をした研究者自身が「捏造問題の渦中の人」となってしまったという残念な事態が起きたことによります。

■研究不正の背景

 優秀な研究者としての栄誉を得たいという願望の他に、研究者としての生き残り競争の厳しさが、不正に高い評価を得ようとする動機を後押ししていると考えられます。研究資金の獲得競争の他にも、少子化で学生数が少なくなってきた大学では教員数が減らされてきており、雇用期間に期限のある不安定な研究職が増えています。2013年春に博士課程を修了した大学院生のうち、安定した職に就いていない人が約4割もいます。*3 研究成果を数年で出さないと評価されず振り落とされてしまうという競争の激化が、色々な悪影響を及ぼしていると考えられます。研究はルーチンワークと違い、研究に携わる人達を危機感をもって追い立てれば成果が上がるという単純なものではありません。研究が上手く軌道に乗るかどうかは、選定したテーマの運・不運もあります。誰もまだやった事がない領域を調べるのが科学研究の特徴でもあり、やってみて上手く行くかどうかの保証はありません。成果主義による研究者の焦りが、不正行為へと駆り立てている背景は無視できないでしょう。

 教授や准教授は、研究成果が上がっていることを示さないと研究費が取れずに研究室の運営が苦しくなります。論文数の多さや有名ジャーナルへの論文掲載は、研究費獲得に有利に働きます。特に生命科学系の実験には高額な機器や試薬が使われるので、研究室を維持していくには多額の研究費の獲得が必要になります。

 院生やポスドク(博士研究員)、助教などの若手研究者は、他の人達よりも良い成果を出して、厳しい競争を勝ち抜いて次のポストを得るチャンスを多くしたいですし、上司である教授などに認められたらより良いポストに採用してもらえる可能性も高くなります。2007年に発覚した大阪府立大院生による論文捏造は、学会の賞が欲しかった為であることが動機として供述されています。

 研究室の責任者とメンバーのどちら側においても、なかなか思う様に結果が出せない場合に、ついデータ捏造をする誘惑に負けてしまうかもしれません。所属する大学の予備調査の結果、改ざんや捏造の疑いにより43本の論文について「撤回が妥当」と判断された東京大学の研究室では、研究室メンバーを小グループに分けて成果を競わせていました。競争を煽ることは成果を上げるのに短期的には役立つ面もあるかもしれませんが、成果がなかなか出ない人達を焦らせて追い込むなど、長期的な視野に立つと危ない橋を渡ることにもなります。

 科学論文の品質管理は、【1】研究室内でのチェック、【2】投稿された論文のレフェリーによるチェック、【3】追試によるチェック、の三段階によって行われています。 しかし、これらのチェックにも構造的な欠陥があることが、福島真人氏の論文で解説されています。*4

 研究者が不正な論文を出さない様にする為には、まず【1】の段階でのチェックが大事ですが、 実験が上手く行かない場合はデータに関して他のメンバーと議論をしやすいのですが、望まれる素晴らしい結果が出た場合は「でかした!」と賞賛され、他のメンバーが疑念を示すのは成功者を妬む行為と取られやすく、指摘し難くなる傾向があります。
 特に競争が激しい場合は、研究室内での「実験成功」はとても歓迎されるので不正に気付かれ難くなる上に、研究室の責任者が情報収集や研究資金の確保に忙しくなり不在がちとなって研究室内のことに目が行き届き難くなるという、悪循環ができてしまいます。

  【2】と【3】の段階の問題として、捏造論文が出されても見過ごされ易い2つのタイプがあります。
 (a)知名度が低いジャーナルを狙うタイプ:査読が甘くて捏造や盗用、二重投稿などが見逃され易く、掲載後に人目に触れ難いので論文が読まれたり追試されることもなく、そのまま放置されるケースが多い。(論文数稼ぎの手段となる)
 (b) 有力なジャーナルを狙うタイプ:著名な研究者との共著にすることで、その信頼のご威光を借りることにより、再現性がなくても追試をした人の技術力不足ではないかと思わせて見逃される。(有名ジャーナルに掲載されることで賞賛され、次の研究費が得やすくなる。ただし、不正が発覚した後のダメージは大きい)

 福島氏のこうした指摘は、捏造者が生まれる背景を考える上で参考になります。
 捏造者は「成果の多さ」や「飛び抜けた業績」によって成功を演出することで周囲の信用を得ていくという、捏造によるクレジット・サイクルを作り出し、麻薬的な常習性をもってしまいます。最近の論文捏造事件を見ると、1つの研究室から多数の不正論文が出されているケースが多く、こうした悪しき状態に陥ってしまったことが考えられます。昨年(2012年)、1人の著者による不正論文が少なくとも172本という、不名誉な世界新記録が日本の研究者によって樹立されました。(日本麻酔科学会の調査報告書*5) この様な酷い状態になる前にできるだけ初期の段階で周囲が気付いて止めることが大切です。日本麻酔科学会に特別委員会が設置されてこの件の調査が開始されたのは2012年3月でしたが、実はその12年前の2000年4月に専門誌「Anesthesia & Analgesia」で、その著者による1994〜1999年の論文47本についてデータが不自然であると海外の専門家が指摘していました。*6 しかし、当時の所属先である大学では調査が行われず、不正行為が放置されてしまいました。(その時に指摘された47本の全てが、日本麻酔科学会の調査報告書*5で捏造ありと判定されています) 2000年に指摘があった時にきちんと調査していたら、不名誉な世界記録に至る前に止めることができたのではないかと思うと残念でなりません。

 続く<下>では、どうすれば不正を減らせるのか、第三者機関による監視の必要性も含めて考察します。
http://d.hatena.ne.jp/warbler/20130905/1378403017

*1 松澤孝明「わが国における研究不正 公開情報に基づくマクロ分析(1)」 情報管理Vol. 56 (2013) No. 3 P 156-165
*2 A comprehensive survey of retracted articles from the scholarly literature. Grieneisen ML, Zhang M. PLoS One. 2012;7(10):e44118 Figure 5B
*3 朝日新聞:やがて悲しき博士号 4割が就職難、採用枠増えず 文科省調査
*4 福島真人「科学の防御システムー組織論的『指標』としての捏造問題」科学技術社会論研究第10号 2013.7 P69-81
*5 日本麻酔科学会 藤井善隆氏論文に関する調査特別委員会報告書
*6 Response Peter Kranke, Christian C. Apfel, MD and Norbert Roewer, MD. Anesth Analg April 2000 90:1004-1007