環境教育と善意のEM投入

WEBRONZAからの転載です。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2013071200007.html
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2013071200008.html


 自然環境は、そこに生息する様々な生物による複雑で絶妙なバランスによって保たれています。 例えば、河川の水に含まれる有機物などの栄養分(生物の死骸も含む)を食べる微生物がいて、その微生物を食べるプランクトンなどがいて、それを食べる魚がいて…といった形の食物連鎖が成り立っています。

 さらに藻類や貝類、昆虫類など様々な生物が複雑に食物連鎖を通じて関係しており、そのバランスが保たれていれば水中の酸素量や栄養成分などは一定の範囲の変動に保たれ、多少の環境変化にも安定していられます。ですが、一度大きくバランスが崩れてしまうと、簡単には回復できなくなってしまいます。

 また、外来生物の流入により、在来生物の生息が脅かされて減少・絶滅することで、生物全体としての多様性が失われてしまうといった問題もあります。外国産の生物が国内に入り込む他に、同じ国内でも、ある地域の種が別の地域に新たに入り込むことにより、その地域の固有種が失われてしまう場合もあります。過去に問題となった例としては、その地域の固有種とは異なるホタルやメダカ、ヨシなどが放流や移植されたケースなどがあり、人為的に別の種を持ち込むことは、できるだけ避けなければなりません。

 「環境教育」は、こうした自然環境保護の大切さを教えるのが目的の1つであると思いますが、環境を保護したり、環境悪化を解決する方策として迷走した活動が行われていることがあります。

 「環境教育」についての問題指摘をした書物としては『ちょっと待ってケナフ!これでいいのビオトープ?』(上赤博文著 地人書館)が良書です。ケナフ(アフリカ原産の植物)は、今でも学校の「環境教育」の教材としてよく使用されています。最近では、EM(有用微生物群)という、沖縄で開発された微生物資材を培養した液やEMで発酵させたボカシ(有機肥料の一種)を土に混ぜ込んで丸めた『EM団子』やEMの培養液である『EM活性液』を大量に河川や海に投入する活動が一部の小中学校の「環境教育」の中で行われており、新聞やTVでもその様子が何度も取り上げられています。

 EM団子の河川や海への投入は、EM提唱者の呼び掛けにより、毎年『海の日』(今年は7月15日)に全国的に投入行事が開催されており、一般の人達への認知度も高まってきている様子ですが、こうした行事に参加する前に一度立ち止まって考えて頂きたい事があります。


■水質悪化のしくみ

 河川などの水質が悪化しているのは、河川に流れ込む生活排水や肥料成分を含む農業排水などの増加によって、有機物を含む汚れが多くなったことが主な原因と考えられます。水中の汚れを分解するのに大きな役割を持つのは目に見えない微生物です。(この微生物にも様々な種類があって、その環境に適している種類が組み合わさって微生物のネットワークが構成されています)

 有機物を環境に無害な物質にまで微生物が分解するには酸素が必要です。有機物の濃度が高くなり、微生物による有機物の分解に必要な水中の酸素の供給が追いつかなくなると酸素不足となって分解を担当する微生物の活動が落ちてしまいます。そうなると、水質がどんどん変わっていき、それに連鎖して様々な生物のバランスに変化が起きて、これまで生息していた生物の多くが結果として住めなくなっていきます。分解されずに残った有機物が増えると、水を濁らせたり、ヘドロとなって水底に溜まり腐敗臭を発したりと、環境が悪化していきます。


■安易な解決法の提示で終わっていないか

 ここで、解決策として先に述べたEM団子とEM培養液を投入する活動が行われていますが、元々その環境に生息していなかった菌群を汚れた河川などに投入することで、その働きによって無事解決となるのでしょうか?

 EMを投入することで、一時的に微生物の量が増えて有機物の分解は進むかも知れませんが、元々の汚れの原因が解決していなければ、また有機物の分解に酸素が多く消費されて酸素不足が進み、酸素を必要とする微生物の活性が落ち、有機物の分解継続は難しくなって水質改善は頭打ちになります。(また、EM団子やEM培養液に含まれていた有機物と、EMに含まれていた微生物の死骸も新たな有機物の汚れとして加わります)

 EM提唱者の比嘉氏は「EMは効果が出るまで使い続けなさい」と指導しており、期待した効果が出なければ水質改善にはまだ投入が足りなかったとして、何度も、何度もEMを繰り返し投入し続けることになるでしょう。

 (一時的にでも)EM投入によって水質が良くなるとしても、環境保全の観点から考えてみると、元々その環境にはいなかったEMに含まれる微生物が在来の微生物と混在するのは望ましい状態と言えるでしょうか。もし、在来の微生物がEMとの競合に負けて姿を消してしまえば、本来の環境保全とは言えなくなります。顕微鏡を使わないと目に見えず、普段はその存在に気が付きにくいのですが、微生物達も環境の生態系を構成している立派なメンバーです。

 元々その環境に住んでいた在来の微生物の復活についても気にかけることは大切でしょう。(微生物を増やすのにEMを入れてしまえば良いと考えるのは、魚を増やすのに外来魚を入れたら良いと考えるのと、あまり差はないかもしれません) EMを投入して解決しようとするのは、本来そこにあった複雑な生態系の事を忘れた安易な考え方であると思います。環境の回復には、河川等に流入する汚水をなんとかしないと根本的な解決にはならないでしょう。

 一旦、生態系のバランスが崩れてしまうと、元の環境に戻すのは本当に大変なのです。環境教育はこうしたことをきちんと教え、「○○すれば水が綺麗になってバンザイ」の様な、安易な解決策の提示で終わってはいけないと思います。○○さえあれば、自然環境が汚れても挽回できるという短絡思考になってしまえば、環境を汚さない様に気を付ける気持ちが薄らいで本末転倒になってしまいます。

 これまでにEMを投入することで河川などが綺麗になったと報告されているケースを調べてみると、その地域では河川を汚さない様にしようという住民意識が高まっていて、例えば食器の汚れを古新聞で拭き取ってから洗ったりと、生活排水の汚れを少なくする努力が同時に行われたりしています。複合的に多数の対策が同時に行われているので、結局はどれが一番効果を出していたのか良く分からない状況があります。
「EMを投入した→水質が良くなった→EMの効果」とは限りません。それは偶然だったかもしれないのです。

 実際には、EMを投入している堀でヘドロが発生する問題が続いていたり、熱心に海にEM団子が投入されていても赤潮が発生したりといった事が起きています。


■公的機関は、EMの河川・海への投入をどう評価しているのか

 EMについては、複数の公的機関から河川や海への投入に否定的な見解が出されています。肯定的な見解を出している公的機関は見つかりませんでした。

 中国新聞:EM菌「推進しません」広島県 (2003年9月13日)
 広島県は、海や川の浄化に自治体や環境団体が使っている有用微生物群(EM菌)の利用を推進しない方針を決めた。「室内実験で水質の浄化作用が全く認められなかった」というのが理由だが、普及団体などには反発も広がっている。
 県保健環境センター(広島市南区)が今年二月から実験。市内の海田湾(南区)や魚切ダム(佐伯区)、八幡川上流(広島県湯来町)の三カ所で採取した水をそれぞれガラス瓶に入れ、EM菌を混ぜて二カ月間、水質の変化を調べた。水はどれも、汚れを示す生物化学的酸素要求量(BOD)や化学的酸素要求量(COD)の数値が上昇。国の環境基準を上回ったまま、戻らないケースもあった。
 魚介類に悪影響を及ぼす窒素やリンの数値も上がり、赤潮を生むアオコの増殖も抑えられなかった。既に岡山県福井県も同様の実験を行い、結果も同じという。こうした実験結果を受け、広島県は六月に「県としては、EM菌利用を推進しない」と決め、県内七カ所の地域事務所に通知した。

 福島民友:県が初の見解「EM菌投入は河川の汚濁源」 (2008年3月8日)
 県は、河川や学校で水質浄化の環境活動に使われているEM菌(有用微生物群)などの微生物資材について「高濃度の有機物が含まれる微生物資材を河川や湖沼に投入すれば汚濁源となる」との見解をまとめ7日、郡山市で開いた生活排水対策推進指導員等講習会で発表した。県環境センターが、市販のEM菌など3種類の微生物資材を2つの方法で培養、分析した結果、いずれの培養液も有機物濃度を示す生物化学的酸素要求量(BOD)と化学的酸素要求量(COD)が、合併浄化槽の放流水の環境基準の約200倍から600倍だった。

 朝日新聞:EM菌効果の「疑問」、検証せぬまま授業 「水質浄化」の環境教育/青森県 (2012年7月3日)
 県東青地域県民局は2004年から、管内の希望校にEM菌を無償で提供し、実践を支援している。提供開始にあたり、県はEM菌による浄化活動が行われている川で1年間、水質を調査。だが、顕著な改善は確認されなかったという。(中略)
 岡山県環境保健センターは1997年度、EM菌は水質浄化に「良好な影響を与えない」と報告。実験用の浄化槽にEM菌を加えて600日間観察したが、EM菌のない浄化槽と同じ能力だった。広島県も03年、同様の報告をしている。
 三重県の05年の報告は、海底の泥の浄化に「一定の効果があると推定」した。湾内2カ所の実験で、1カ所で泥中の化学的酸素要求量(COD)が減少したためだ。だが、水質に関しては効果がなかった。
岡山県の検証に参加した職員は「川や池でも試したが効果はなかった。EM菌が効く場合が全くないとは言い切れないが、どこでも効果が期待できるようなものではない」と指摘する。

 以上、紹介した広島県福島県岡山県三重県の公的な試験の結果からは、期待とは逆にEMは河川や海の汚染源になってしまう可能性が指摘されており、EM団子やEM培養液の投入は環境保全の意味を考え合わせても、安易に河川や湖・海などに「どんどん放り込む」ことはせずに、もっと慎重になった方がいいでしょう。


■「善意」の活動と連携する場合の問題点

 EMなどが学校や自治体の「環境活動」に取り入れられてきた背景を調べると、環境保護活動をしている市民団体からの誘いかけがあったケースが多い様です。しかし、善意であっても、必ずしも科学的な根拠に裏付けられた活動をしている団体ばかりではなく、あやしげな方法を環境に良いと信じているケースもあります。

 今年7月5日に、福島県企画調整部文化振興課による「福島県民の日」の記念事業に、民間団体による『第4回全国一斉EM団子・EM活性液投入』活動が選定されました。しかし、福島県では紹介した福島民報の記事にある通り、2008年に県として「高濃度の有機物が含まれる微生物資材を河川や湖沼に投入すれば汚濁源となる」という見解を出していました。そこで、文化振興課に選定された経緯を問い合わせたところ、この活動が選定されたのは、「善意で熱心な活動であることを評価した」結果ということでした。福島県として5年前に微生物資材の河川などへの投入に否定的な見解が出されている事をお伝えすると、「データを出した部署とも連絡をとり、資料を確認してみます」とのお答えを頂きました。

 ※参考として、『福島県生活環境部生活排水対策推進指導員講習会資料』(抜粋)を紹介します。この資料にある『微生物資材の水環境中での利用に関するQ&A』は、とても参考になりますので、ぜひ読んで頂きたいと思います。

 他にもこの件に関して福島県に多くの問い合わせや意見があった様です。最終的に、「河川等の水質保全に関する県の方針と整合を図るため、記念事業としては位置づけない」という判断が下され、記念事業からEM団子・EM活性液投入活動は除外されました。
今後、他の自治体においても、この福島県の判断は参考事例となるでしょう。

 EMも微生物資材として期待出来る範囲で上手に利用すればいいと思いますが、よく調べてから慎重に使わないと、効果が無いばかりか逆に環境に害を及ぼす可能性があります。これは、環境活動でよく利用されるケナフ等でも同様な指摘がされています。環境に良かれと願っての「善意」からであっても、それが正しい方法であるとは限りません。特に学校や自治体は、地域住民との良好な関係を保っていく為には、善意からの申し出を断りにくいという事情もあるでしょう。しかし、その方法に対して問題指摘がないか等について、念の為に背景なども含めて調べる用心深さも必要だと思います。その分野について詳しい大学や公的機関の複数の専門家に相談してアドバイスを貰うのも判断の助けとなると思います。